平成25年9月10日(火)午前10時より開催。法要に先立ち行われた大中寺(北区藍那)住職竹安正浩師の法話は、ご自身の重篤な病気から生還を得て語られた体験談で,我々に少なからず感銘をあたえるものでした。
「年々歳々花相似 歳々年々人不同」 中国唐代詩人劉希夷(651-680)の「代悲白頭翁」と題する漢詩の一節である。その意味は、来る年も来る年も花は変わらず咲くが、それを見ている人間は年ごとに移り変わるという。
悠久の自然と儚い人間の命を対峙させて、人生の無常を詠嘆した詩である。生あるものは必ず死あり、それが人間の定めである。そうした運命にある人間にとり、今求められる一番大切なものは、おかげさま「報恩謝徳」の心である。
それは医師はじめ多くの病院医療のスタッフの手厚い治療と看護により、重篤から無事回復できた時、自分の口から思わず飛び出た感謝の言葉だった。
報恩は受けた恩に報いることで報徳ともいう。謝徳は受けた恩に対して感謝の気持ちを表すことで謝恩ともいう。つまり受けた恩徳に対して、如何ともし難い感謝の気持ちが芽ばえて、どうしようもなく報いたくなるのである。
竹安師は、こうした他者から受けた恩徳を意味する「お蔭」に丁寧に「様」をつけて、何時も「おかげさま」と申し上げていると述べて法話を結んだ。
さて、引き続いて開山忌法要が始まる。開山以来当山に関わる寺僧の出席のもと、多数の檀信徒や味道会・空心会の会員の方々も、全員で開山龍淵禅師はじめ歴代和尚の遺徳を偲んだ。
当山元勝和尚からは、来る平成29年9月実施予定の「開山龍淵禅師・二代台岳禅師百年遠諱記念事業」の勧進趣意に関しても詳しく説明が行われた。